ココだけの話 Part2



Part3 (その2)

私は対人関係が苦手でした。
また「対人コミュニケーションは大切です」
と言われましても、

なぜ、大切と言われるのか?

理解できませんでした。
たとえば、雇用される人間(労働者)は
上司の指示命令に従い、キチンと業務を成せば
「それ以上の人間関係が、なぜ必要か?」
分かりませんでした。

農業は『植物』を相手に仕事します。
決められたことをキチンとしてれば、
最大の成果につながります。

人間社会も決められたことをキチンと実行すれば
「それ以上、まだ何が必要か?」
と思っていました。
なのに、

「なぜ 人間関係を重んずるのか?」

私の推測にすぎませんが
どんなに仲良く付き合っていても、

『人間不信』

に陥ってるのではと思ったりします。
『1000万円を借金するから連帯保証人になって欲しい』
と頼まれたら アナタはサインできますか? 

約1年間 ほぼ毎日、付き合っても
それでも、金銭や利害関係が絡めば
『師匠と弟子』の関係でも

所詮は、他人にすぎない

それが現実ではないでしょうか。
ですから、会社は会社であり
与えられた仕事を真面目にキチンと成してれば
それで構わなくて、会社を離れたら
一人の人間として生きるのが 自然じゃないかなと
思うのです。

ですが、疑心暗鬼に陥った人間は
絶えず相手を監視しなければ 不安かもしれません。

私のような『枠』に収まらなければ
異端分子と見られたのは仕方ありません。





バブル崩壊以降、企業や組織は、
さらに『枠』を狭めようとしました。 
支配(雇用)する側からすれば
『枠の世界』が狭ければ 狭いほど
コントロールしやすかったと思います。

ですが、そんな社会になれば
「限られた狭い社会でしか通用しないルール」
ようするに、
支配側に都合の良い価値観だけが評価されます。
たとえば
"ガラパゴス携帯"など、その典型ではないでしょうか。

バブル崩壊で、雇用側が優先され
どんどん窮屈な社会になったように思います。
その反動として、『枠外の人』 が増えたように感じます。





スーパーマーケットでは、真っ直ぐで
長さも一定のキュウリが売られてます。
ですが
実際は、いろんな形のキュウリが育ちます。
真っ直ぐなキュウリだけが美味しくて、
三日月のようなキュウリはマズイとは限りません。

生産する農家も、消費者にしても
キュウリの形状なんか関係ないと思うのですが
なぜ、真っ直ぐなキュウリだけ流通してるのでしょう? 

それは、流通段階で曲がったキュウリは
『商品価値がない』
とされたからと思います。

美味いとかマズイという問題でなく
キュウリが真っ直ぐでなければ梱包や箱詰め作業で
手間とコストが掛かるからと思います。

真っ直ぐなキュウリだけを『価値あるキュウリ』にすれば
梱包からスーパーの陳列まで、効率が良くなります。
その結果、『枠外』のキュウリはデリートされたと思います。

流通作業を効率化させるため、キュウリの商品価値を
決めただけにすぎません。

美味いマズイというレベルでなく
全く別次元の『ものさし・尺度』で
キュウリの商品価値を決めたといえます。





このように支配する側 (多数派グルーブ集団)だけに
都合の良い『ものさし・尺度』で、
人間の価値を判断してるのはないでしょうか?

多数派グループ集団にオベンチャラを言って
ゴマをするズル賢い人間も増えました。





といっても、ほとんどの人は多数派グループ集団に
嫌われないよう気を使ったり、関わりたくないので
積極的に近づいたりされません。

あるいは、多数派グループ集団の身勝手な行動や横暴は
分かっておられ 気にされても、敢えて文句言わず
黙って様子を見られてるだけです。

ですが、ズル賢い人間は
見え透いたウソでを言ったり、オベンチャラを言って、
多数派グループ集団に気に入られ、仲間になろうと
自己アピールされます。

※ご参考
周りの人から認められたい欲求





そんな多数派グループ集団に属する人達ほど
「対人コミュニケーションは重要で大切」
と言われます。

なぜ、名も無き1人の個人が発する小さなメッセージに
耳を傾けられないのでしょう? 
小さな個人の 声無き声を 聞こうとされないのでしょう?

対人コミュニケーション能力が得意とされる人は
コミュニケーション能力を発揮され、
声に出して言いたくても言い出せない
『小さな個人の小さな声』を
感じ取って欲しいのです。

たった1人の小さな個人は
『本当は こうして欲しい』と言えません。

小さな個人に目を向けられ
得意とされるコミュニケーションで
小さな個人の心の本音を
汲み取ろうとされることは
大切と思うのです。





ですが、現実は強い力を持つグループ集団が
小さな個人を支配しようとします。
グループ集団に属する人は
"自分たちの意見"が正しく
1人の小さな個人の意見なんて
『何の価値も無く 、聞くに値しない』
と決めつけられてます。





さらに、グループ集団の利益に反すると判断すれば
"たった1人の小さな個人"でも 
『自分たちに逆らうようなヤツは やっつけてしまおう』
当然のように罪の意識も無く 集団で襲い掛かります。





そして私は、人間が信じられなくなり
人間嫌いになったと思います。





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